かつて、小金井に慶應義塾のキャンパスが存在したことをご存知でしょうか。慶應義塾小金井キャンパスは、工学部(現理工学部)のキャンパスとして1948年から1972年までの約25年間、工学部が矢上に移転するまで利用されていました。
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小金井キャンパスまでの道
元々工学部は藤原工業大学を前身とし、戦時中の1944年に慶應義塾に寄付されて工学部となりました。当時は日吉キャンパスの北部(現在の第4校舎、第6校舎の辺り)に校舎を構えており、矢上台の土地についても既に慶應が所有していました。発足時点で既に矢上への移転が計画されていたものと思われます。 しかし日吉キャンパスは空襲によりほとんどの校舎が焼け落ち、残った校舎についても戦後米軍に接収されてしまったため、工学部は移転先を探すことが喫緊の課題となりました。このときに矢上への移転が実現しなかったのは財政の問題で、キャンパスを1から整備する余力が存在しなかったためと考えられます。 かくして工学部は目黒・溝ノ口など拠点を転々としたのち、1948年に小金井にあった横河電機の工場に移転しました。これが小金井キャンパスです。
現在
その後矢上台が整備され、1972年に工学部は現在の矢上キャンパスに移転しました。しばらくは小金井キャンパスもグラウンドとして利用されていたようですが、現在はすべて手放され、マンションや住宅街となっています。
とりあえず旧本部の外周を歩いてみました。
北部は大きなマンションになっています。
最北部はイチョウ公園という公園になっています。レンガ造りの謎の壁があったのでキャンパス時代のものかなとも思ったのですが、昔の航空写真を見てもこの位置は建物が建っており、更地になった時点でもそれらしきものは写っていなかったため謎です。
公園を越えて北東部を歩くと、住宅街になっています。画像右側が元々のキャンパスの土地です。
東側は多磨霊園に面しています。右手側の墓地もキャンパスの土地だったと書かれていましたが、キャンパスが使われていた頃から墓地だったようなのでよくわかりません。
南側は住宅街となっています。住宅街の中の小さな公園に立派な桜の木がいくつか生えていました。公園は旧キャンパスのグラウンド南端に位置しています。結構大きいのでこれらの木はキャンパス時代から生えていたのかもしれません。
ということで歩いて旧キャンパスを一周したのですが、流石に移転から50年以上も経っているため痕跡はほとんどありませんでした。特に記念碑とかもありません。
飛び地で存在していた旧管理工学科の土地には東京工学院専門学校があります。
利用した航空写真